読書で人生は変わる!
実際に、読むことで人生変わったと心から思える本を厳選してお送りしていきます。
3冊目の紹介は『姑獲鳥(ウブメ)の夏』。
「ミステリー小説」に分類されることが多い本作ですが、ミステリーの枠に収まりません。
物の見方の根底が覆されるような衝撃が、随所に散りばめられています。
私は年間200冊くらい本を読みますが、「人生変わる」とまで言える密度の濃い本はそう何冊もありません。
読むことで、今まで見ていた景色が180度転回するような感覚。
ぜひ味わっていただきたいと思っています。
昔は、直に接する人々や集合体との関わりで人生が決まりました。
今は、とんでもなく頭のいい人、歴史の最先端を担っている人の思考に、本やインターネットで触れることができる素晴らしい時代です。
ご近所ガチャに人生の命運を懸けるより、良書に触れる方が人生好転する可能性は高いと思います。
ぜひ、優れた本や、天才的な人々の考えに触れてみてほしい。そんな思いも含めてお届けします。
作品概要
タイトル:『姑獲鳥の夏』
作者:京極夏彦
出版:講談社
発行年:1994年9月
概要:20ケ月もの間、子どもを身籠り続ける女性がいる。夫は密室から忽然と姿を消していた–。昭和47年、戦後間もなくの夏、東京のある産院を巡る醜聞に巻き込まれる文筆家、関口。次々と現れる新事実に翻弄されながらも、学生時代の友である中禅寺(陰陽師)、榎木津(探偵)らの力を借り、事件の真相に迫る。
「じ、辞書!?」と戸惑う人も続出した、分厚い装丁も本シリーズの特徴。
分厚すぎて持てない…重そう…という方には、上下巻の分冊版もありますのでご安心ください。
特徴
密室の謎などミステリ要素も満載なのですが、本質はそこではありません。
事件を紐解いていく過程で、登場人物たちにかかった呪いを解いていく。これが作品の神髄なのではないかと思います。
「呪い」と言っても、口裂け女が襲ってくるとか呪われ祟られ罰が当たるとか、そういう迷信ではありません。
自然現象の科学的な解明が進んでいなかった時代に、立ち現れる謎を人々はどのように「落とし込んで」いたのか。受け入れられないほどの残酷な現実が目の前に立ちはだかった時、人の脳はそれをどのように「処理する」のか。
中禅寺の手によって、深く絡まり合う複数の怪異は具体的に、理論的に解き明かされていくのです。
中禅寺の口癖は明快です。
この世には不思議なことなど何もないのだよ、関口君。1
彼の博識、博学に基づき、様々な「事実」が明るみに出ます。
事実を突き合せれば、ミステリはミステリでなくなる。
不思議とは、人間が作り出した幻。
本作が単なるミステリ小説で終わらないのは、そういった人間の営み全体を包括しうる広い視野が要因かと思います。
本作の恐ろしさは、事件の奇抜さではありません。
すべての事実は最初から読者の目の前に、開かれた状態で提示されているにもかかわらず、私たちの脳が「そんなはずはない」「常識的にあり得ない」と、勝手に情報を遮断したり、都合よく歪めたりしてしまう点にあります。
読者は中禅寺の言葉を追ううちに、ミステリの謎解きを見ているつもりが、いつの間にか「自分自身の脳がいかに不完全で、見たいものしか見ないか」という認知の限界を突きつけられることになります。
謎解きに付随する人々の「業」のようなもの。
ぜひ手に取って楽しんでほしい作品です。
人生を変えるポイント4選
骨壺に干菓子を保存する陰陽師 -既成概念という呪いを捨てる-
中禅寺は古書店店主や陰陽師など様々な属性を持っていますが、基本は超合理的な研究者と言っていいと思います。
たとえ骨壺であろうとも、それが「湿度を避け得る」のであれば、躊躇せず干菓子を中へぶちこみます。
「骨壺は骨をいれる容器」という既成概念に縛られないのです。大事なのは適性。余計な意味づけ、装飾は意に介しません。
本作の謎解きに対しても同様です。事実と仮定、余計な感情を全て明確に切り離し、事実と確実に相関がある仮定のみをつなぎ合わせて、事件を収束へ向かわせます。
「妖怪が怖い」「お化けが怖い」といった漠然とした不安も、なぜそのような思考に陥るのかを明確に説明してくれる心強いキャラクターです。
突然個人的な話で恐縮ですが、大昔に私は『かまいたちの夜』というミステリーゲームをプレイしたことがあります。内容や画面が怖くて怖くて仕方なかったのですが、この『姑獲鳥の夏』を読んでからは、嘘のようにその恐怖が消え失せてしまいました(笑)。
「実際にあのような惨劇が起こったらどうしよう」という恐怖だったと思うのですが、ゲーム設定は「雪山のコテージに数名が閉じ込められる。外との連絡は完全に遮断される中で次々と殺人が起こる」というものでした。
冷静に考えれば、「そんな惨劇は日常で起こらない」のです(笑)。
万が一起こり得るとしても「そのような特殊すぎる状況をわざわざ作らなければよい」のであって、必要以上に恐怖する必要はなかったのでした。
恐怖、事実、不安、仮定などが入り混じった曖昧模糊とした状態になっていた自分は、本書を読むことによって思考が整理され、ごくごく当たり前のことに気づくに至りました。
中禅寺の論理的思考は、読者が複雑に抱える「漠然とした不安」の一端を、明確に紐解いてくれます。
現代の私たちは「もういい年なんだから」「お金もない癖に」といった、世間が作ったラベルに縛られ、自ら生きづらさを抱えています。
中禅寺の骨壺エピソードは、「本質的な機能さえ満たしていれば、世間の目や前提は些事である」という、思考の断捨離を教えてくれます。
怪力乱神を語りまくる陰陽師
「怪力乱神を語らず」という『論語』のあまりにも有名な一説があります。
ですが中禅寺はこの作品の冒頭だけでも、姑獲鳥、酒呑童子、ダイダラボウシと、化物語を意気揚々と展開していきます。
それらが「いる」というのではありません。
「どうやって発生し、定着したのか」を語るのです。
関口が持ち込んだ「長すぎる妊娠」の話から、歴史上の例の連想となります。仏陀以外は平将門、武蔵坊弁慶、酒呑童子。長すぎる妊娠の末に生まれた例として、稀代の荒くれ者が並びます。
関口は「どうも信憑性がない。後から取って付けたような数字だな。」と疑問を呈します2。
中禅寺はこう答えます。
勿論、後からさ。彼らは残虐非道の鬼になったり、極悪人や豪傑の判を押されたその時に、遡って過去が出来たのだ3
だから、異常な出産で生まれた者は、鬼子として忌むべき存在となる。殺されてしまうのです。隠れて生き延びた者は、今度は遡って異常な出産の過去は「消えてしまう」–。
中禅寺は、伝説や怪異が生まれる背景を考察していく陰陽師です。
全て、説明はつく。
不思議なものなど何もない。
多岐にわたる知識を網羅した中禅寺の解説で、読み手の偏見も少しずつほぐれていきます。
夜道に人ならぬ気配を感じて震えあがる経験はかなりの人が持っていると思うのですが、それは実際に妖怪がいるのではありません。目に見えないという「不安を顕在化させたもの」、それが妖怪なのです。
読後は、少し肩の荷がおりたような気分になると思います。
訳の分からない不安も、分析し分解して、見つめ直すことができる。克服することができる。
恐怖に呑まれる必要はないと、中禅寺が教えてくれます。
SNSで見かける「得体の知れないトレンドへの焦り」や「将来への漠然とした不安」も、すべて正体不明の妖怪のようなものです。
中禅寺のように「なぜ今、自分はこれを不安に思っているのか?」と言語化し、構造にまで分解してみる。
そうして不安の正体を炙り出し、正面から見つめることこそこそが、人生の舵を取り戻すことに繋がるのだと思います。
常軌を逸した探偵
さて、関口、中禅寺共に強烈な存在感を放つ濃ゆい登場人物なのですが、彼らに負けず劣らず、むしろ濃さでは勝利しているかもしれない人物がいます。
二人の元学友、榎木津礼二郎です。
彼は探偵で、探偵になった経緯も生い立ちも、何もかもが特殊です。
風貌も特殊、性格も特殊です(笑)。
その能力もまた大変特殊なのですが、能力については中禅寺が見事な説明をしてのけていますので、ぜひ実際に読んでみていただければと思います。
本作でそこまで登場頻度は高くないにも関わらず、その強烈な個性は関口以上のインパクトを残すかもしれません。
かんたとえるなら、台風!!
彼の異様さに呆然としている間に彼自身は行動を終え一段落している、といったイメージです。
榎木津には榎木津の行動原理があるのですが、一見しただけで理解はできません。中禅寺の解説があって初めて、榎木津の行動に一貫したものが浮かび上がってきます。
榎木津の言動が事件解明の重要な手がかりになっているところも、非常に読み応えのある部分です。
何より、フィクションとは言え「こんな変な人がいるんだ」と目の当たりにすることで、視野が少し広がります(笑)。
鬱々と展開していく物語において、一種の清涼剤ともいえる榎木津。
ファンも多いことだろうと予想します。
謎はすべて、人が作り出すのだという皮肉
本書の前半は、もしかすると難解な講義を聴いているような感覚に陥るかもしれません。
量子力学、脳科学、民俗学、宗教――中禅寺の口から語られる膨大な知識の洪水に、読者は関口と共にクラクラと眩暈を覚えるはずです。
ですが、少しずつでも、自分のペースで読み進めてみてください。
前半に張り巡らされた知識の伏線が、終盤の「憑物落とし」によって一気に一本の線に繋がったとき、それまでの概念がひっくり返る、圧倒的なカタルシスが待っています。
本書の終盤に、不鮮明だった事件の全貌は明らかになります。
中禅寺の言う「不思議なことなど何もない」状態へと収斂していくのです。
蓋を開ければ「ああ、そうだったのか」と納得することばかり。
いかに今までの経験や偏見、常識に人間が誘導されてしまうのか。騙されてしまうのか。
読み進めるたびに、凝り固まってしまった自分の思考がほぐれ、自分をつまらなくしていた「鱗」「ベール」のようなものが、1枚1枚剥がれていくのを実感できます。
事実は全て中立に存在しているのに、事実の間に訳の分からない偏見やバイアスの橋渡しをして自ら謎を深め、不思議だなあ不思議だなあと首を捻っているのが人間です。
そういった人間の性を分かりやすく浮かび上がらせたのが京極夏彦の作品群だと思います。
注意点 深淵が深すぎる
無意識にある人々の偏見や業を抉り出すため、自然と描写も人間の業の奥深くへ入り込んでいきます。
品のある描写ではあれ、残酷なエピソード、背景、経緯が次々と展開します。
最後に救いはあれど、深い業を扱う以上、完全に「スカッと!」とはいかないのです。
人間の暗部に触れることにより、その深淵にやられてしまう可能性も否定できません。
過激な描写が苦手な方は、手に取るのを慎重に検討した方がよいでしょう。
まとめ 脳は騙される
中禅寺は終盤、関口にこう語りかけます。
死体はただの物体だ。成仏するとかしないとかいうのは生きている人間の決めること、つまり君や僕が決めることなんだ4
生も死も、此岸も彼岸も怪異も奇跡も、人間が意味づけして作り出すものです。
現象や事象それ自体に、意味はありません。在るべくしてある、生まれるして生まれる、消えるべくして消える。ただの現象にもっともらしく装飾するのはいつも人間です。
その装飾はいつも「誰かにとって都合のいいように」成されます。
現実が残酷だった時、人はそのダメージを最小限に抑えるため、受け取り方や記憶を簡単に捻じ曲げます。
自分を守るため、脳を騙すのです。
これはフィクションの中の異常心理に限った話ではありません。
私たちは日常でも、失敗した原因を他人のせいにしたり、他人の成功をバイアス混じりに解釈したりして、自分のプライドや精神の安定を守るために現実を微調整しています。
自己防衛、被害妄想という「妖怪」ですね。
本作は、そうした脳の生存本能を暴くと同時に、「事実は中立である」という冷徹な視点を与えてくれます。
脳は騙される、自分は騙される、記憶は改竄される。強く認識しておくだけで、肩の力が抜け、意識に余白が生まれ、自由に一歩近づける気すらしてきます。
一種の生存本能を明快に暴き、抉り出す本作。
日頃どうしても、考えが視野狭窄に陥ってしまう…とモヤモヤしている方は、ぜひ一度手に取ってみてください。
魅力的な登場人物たちと、緻密に折り重なった事件の厚みに夢中になれるはずです。

