【書評】『すべてがFになる』

ここでは、読んで人生が激変した!という本たちを紹介していきます。

私は年間200冊ほど本を読みますが「人生が変わる」ほどに人生観や視野がシフトする作品は多くありません。

小手先のテクニックではなく、考え方の根本から、変革を促すような作品。

変わることで、生きることが楽になる作品。幸せに近づける作品。そういうものを厳選して紹介してきます。

今回は、森博嗣著『すべてがFになる』。

推理小説、ミステリー小説が好きな方であれば、ご存じの方も多いでしょう。

なんと30年前に発行された作品で、フロッピーディスクなど懐かしの機器が登場したりもするのですが、その斬新的な切り口は、今なお色褪せずに輝きを放ちます。

そして最初に紹介した通り、私は本書を「斬新なミステリー小説」としてではなく「人生が変わるほどの知見をもたらしてくれる本」として紹介したいのです。

かん

こんな人におススメしたいです!

意外なアプローチかもしれませんが、昔の私がそうだったのです。

人の目ばかり気にして、自分を見失っていた頃に本書を読み、言葉は悪いですが「こんな変な人たちがいるんだ」と勇気づけられたのを覚えています(笑)。こんな変な人たちが、堂々と、自分の考えを持って自分の信じる道を進んでいる。彼らの言い分を聞くと、何も間違ったことを言っていない。人の目を気にすることを強要している自分の方が、不自然(変)なのではないか。そんな気づきをくれた本です。

本書を読み、随分と生きることが楽になりました。

目次

作品概要

タイトル:『すべてがFになる』

作者:森博嗣

出版:講談社

発行年:1996年4月

概要:主人公はN大助教授1犀川創平と女子学生・西之園萌絵。西之園のコネで、知る人ぞ知るハイテク施設、真賀田研究所を訪問することになった彼らはそこで、研究所の天才・真賀田四季博士を巡る事件に巻き込まれていく。

小説が世に出た際は、これまでにないミステリー小説のアプローチとして大変話題となった本作。漫画化、ドラマ化もされ2、そのたびに話題になった作品です。

それまでのミステリ小説の強引展開にメスを入れたという点でも価値のある本作。一見すると「科学的ミステリー小説」とでも分類できそうなのですが、科学的知見に触れたことがない人ほど、人生変わる要素が詰まっています。

人生を変え得るポイント4選

学者たちの視野(偏狭な視野への揺さぶり)

私が学生時代に本書を読んでいて最も感銘を受けたのは、主人公・犀川助教授のセリフの数々です。

彼は別作3でも「高校数学に出てくる数式が何の役に立つのか」という問いに対し「何故、役に立たなくちゃあいけないのか」と答えるような人物です。凡人が持つ問いを、前提からひっくり返してくるタイプです。彼の土壌は「理論に基づいた科学的思考」。無根拠な迷信、妄信に染まることはありません。

そして、ここまで社会が発展したのは科学の力です。本書では、科学者の思想に触れることが可能です。

かん

著者の森博嗣が工学博士ですからね!

僕ら研究者は、何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年さきのことを考えられるのは、僕らだけなんだよ。4

犀川先生のセリフは、日々を近視眼的に生きてきた私にとっては衝撃でした。たしかに、ここ数百年の技術発展は科学者の寄与するところがほとんどです。歴史の核の片鱗に触れたような気にさえなりました。こうやって考え、「気づいた」学者たちの仮説に基づき、試行錯誤が繰り返され、技術が伸長していった。そうすることで、より発達した未来が少しずつ築かれていったのですね。

なぜ私たちがこのように便利な社会で生活できているのか。当たり前のことを実感として気づかせてくれる登場人物たちなのです。

犀川先生だけではありません。真賀田研究所で働く人々も、よくあるテンプレ思考とはかけ離れた考え方の持ち主です。個人的なイメージだと、彼らは今ならApple社やGoogle社の中枢で働いているような精鋭たちではないでしょうか。彼らの労働環境が一部披露される箇所があります。

全員がほとんど一人で仕事をします。人と会うことは極めて希です。会議は電子会議ですし、話もコンピュータ上でします。我々は、平気で人の悪口を言い合います。マナーとかセレモニィはありません。挨拶もしませんし、一緒に食事もしない。歓送迎会もしない。社員旅行もない。ルールは一つしかないんですよ。出来上がるまで黙ってろ、です。5

「理想的な職場ですね」と犀川先生はにっこり微笑むのですが(笑)、合理的であることに振り切った職場ということが分かります。驚きなのが、この描写が30年前、という部分です。ネット会議もごくごく日常の風景になった現在ですが、30年前にネット会議をする日本企業はほとんどなかったでしょう。彼らの科学的、合理的な姿勢は、未来の先駆けとなっているケースも多々あります。次で見ていきましょう。

科学で未来を計算する

現在の状況、進んでいる方向性をいくつか掛け合わせて計算すれば、30年くらい先の未来は計算できる。本作ではそれが実証されています。筆者の森博嗣自身、そのような計算ができるのでしょう。

未来の計算は、根拠のない奇跡ではありません。占いでも予言でも神のお告げでもありません。あくまで計算です。ですから、導き出された仮説や回答は、ある程度再現性があるのです。

まず、犀川先生が前提を共有してくれます。

ペンチが発明されたとき、ペンチなんて使うのは人間的じゃないって強情を張った奴がいただろうね。そんな道具を使うのは堕落した証拠だって。(中略)けれど、我々は、そもそも道具を使う生物なんだ。戻ることはできない。こういうことに対して、寂しいとか、虚しい、なんて言葉を使って非難する連中こそ、人間性を見失っている。6

道具を使う方向、便利さ快適さを求める方向…とういったベクトルはある程度定まっているわけです。そのうえで、犀川先生の定義と予測は続きます。

人間が生きていることがクリーンではありえない。我々は本来環境破壊生物なんだからね。何万年もまえに、我々は自然を破壊する能力によって選ばれた種族なんだ。だから、速度の問題なんだよ。環境を早く破壊しないためには、エネルギィを節約するしかない。それには……、すべてにコンピュータを導入して、エネルギィを制御することだ。それに対する人間性確保の要求には、バーチャル・リアリティの技術しかない。まやかしこそ、人間性の追求なんだ。全員が自分の家から一歩も出ないようにすることだね。ものを移動させないこと……7

物語序盤で、真賀田博士も同じ内容の発言をしていますが、かなり端的です。犀川先生が改めて、分かりやすくかみ砕いて教えてくれるわけです(笑)。さすが指導者です。

さて、30年後の現在。バーチャル・リアリティ(VR)の存在感は増すばかりです。本書を読み心の準備ができていた私にはそこまで驚くべき未来ではありません。むしろ、進行が遅く感じるくらいです。また、金融の知識があれば、あの頃にハイテク株も購入して今ごろ大儲けだったかもしれません。

かん

惜しいことをしました!

予備知識がなかった人は、これからも驚くことの連続でしょう。新しい物事が突如出現するようにも見えますが、今というのは、過去と未来の延長線の途中にあります。過去から伸びてきた方向性の線から、ある程度の予測が立つのです。

本書は私に、長期的な視野で物事を見ることの有用性を教えてくれました。

地に足着いた天才たち

常人の理解を超える人々を「天才」と定義し、小説の世界では天才探偵が次々と登場します。しかし、既存の天才描写というのはどこか型に嵌まっていました。「日常生活に支障を来たすほど普段はダメ人間だけど、一旦集中すると超人的な能力を発揮する」というパターンです。そのギャップで「天才的」に見せていたのかもしれませんが、落ち着いてよく読んでみると、時間をかければ警察が難なく辿り着きそうな答えを「ヒラメキ」という乱暴な手段でもぎ取っている、というイメージです。多少の矛盾の指摘や情への訴えかけで犯人の自白を促す、という物証ゼロの解決も多くなされてきました。

かん

「記憶違い」でごまかせそうな指摘もあり…よく犯人自供したな、と思います。

シャーロック・ホームズも、表面的には上記の「ギャップ型パターン」ですが、彼の思考速度、深度は見せかけのものではありませんでした。推理の展開にれっきとした論理が存在し、乱暴な飛躍はいたって少なめです。おそらく、ホームズを表面的に真似た「天才」たちが後世に跋扈した結果、量産型天才テンプレが定着した…という側面はあるでしょう。

反感を買う表現かもしれませんが、凡人が書いた小説に天才を登場させても、凡人に天才は書けないのです。ですから、テンプレ量産型の天才が大量発生する事態になっていました。

かん

「天才」という希少種が、都合よく大量発生するはずありませんからね。

前置きが長くなりました。森博嗣作品に登場する才能たちは、テンプレ型ではありませんでした。主人公たちを含め「天才」と呼んでも差し支えない人々が何人か登場しますが、キャラそれぞれの書き分けができています。「複数の天才を書き分ける」というのが既に常人にはできない作業でしょう。天才なんて、1作品に1人登場させるだけで、凡人は疲れ切ってしまうはずです(しかも満足に書き切れずに)。

書き分けに成功しているのは、キャラそれぞれに信奉する「理屈」があるから。その理論、理屈が行動原理になっているので、キャラが崩壊することも、埋没することも、誰が誰だか分からなくなることもありません。本作には研究所員や学生、警察など、結構な数のキャラが登場するのですが、「君、誰だっけ?」という現象は起こりませんでした。「有能」「無能」などといった雑な書き殴りをしないので、どのキャラも実際に存在していそうなリアリティがあります。

行動自体はぶっ飛んでいるけれど、行動に至る明確な理屈があるからファンタジーにならない。そんな天才たちが複数登場します。これは、著者森博嗣の卓越した観察眼、表現力によるものです。そんな森氏も天才である、と私は思います。

ラスボス、真賀田四季の説得力

数ある天才が登場する本作ですが、中でも抜きんでているのが本作の中心、真賀田四季博士です。

主人公の犀川・西之園コンビと敵対しているわけではないのですが、その常人離れした存在感、確固たる立ち位置から「ラスボス」と表現します。実際、この犀川・西之園コンビを主人公とする物語はシリーズものとしても人気を博し、20作ほど続いていくのですが、最後まで別サイドに君臨し続けるのがこの真賀田四季博士です。

かん

なんなら、シリーズ後も森小説に君臨し続ける絶対的な存在です。

彼女は、小説(テキスト)が時代の最先端を担っていた時代の、最後の到達点かもしれません。現在のメディア環境において、真賀田博士レベルで、抽象的な知性を構築し、それを一人のキャラクターに集約させる試みは、もはや割に合わなくなっているようにも思えます。詳しく見ていきましょう。

フィクションにおいて女性の敵キャラは、どれほど賢くても最後は「愛」や「情」に回収されがちでした。子どもを守りたい、好きな人を守りたい、家族のため、恨みを晴らすため…。「母性」や「感情的」というテンプレを、無意識に背負わされていたのが既存の女性キャラです。真賀田博士はその期待(あるいは偏見)を一切無視し、肉体や性別という概念すらロジックの末に切り離しました。

加えて、男性の理知的ヴィランが陥りがちな「支配したい」「一番でありたい」という序列への執着からも彼女は解放されています。

理知的な男性ラスボスの多くは、以下のいずれかの「人間臭い動機」に帰結することが多くあります。読者の共感を得やすくするためかと思われますが、作者がそれ以上の動機を思いつかない、という限界に由来しているようにも見えます。以下、簡単にまとめます。より分かりやすくなるよう、知名度の高い少年漫画のキャラで一例を挙げましたが、小説に登場する敵キャラも同じく分類が可能です。

  1. 選民思想・独裁: 「愚かな人類を自分が管理・導かなければならない」という傲慢さ(例:『デスノート』夜神月)。
  2. 復讐・憎悪: 過去のトラウマなどに基づき、既存のシステムを破壊しようとする(例:『僕のヒーローアカデミア』死柄木弔)。
  3. 求道者: 己の強さや真理を追い求めるあまり、他者を踏み台にする(これは「退屈」や「エゴ」に近い)。例としては、『BLEACH』愛染惣右介。
  4. 破壊欲求:「ただ壊したい」という純粋な欲求。あるいは壊すことで快楽が生じる、ある種のフェティシズム(例:『幽☆遊☆白書』の左京)。
かん

夜神君は主人公ですけど、ラスボス的な立ち位置なので(笑)。

彼らは理知的ではあっても、真賀田四季のような「ただそこに存在し、自らのロジックを淡々と実行する」という透明な静謐さとは異なります。言うなれば、敵味方という思考停止の位置づけすらも一笑に付す…そんな高みから世界を眺めるのが真賀田博士です。ヒステリックに喚き散らす「よくいる女性ヴィラン」ではなく、理知的ではあるが結局既存の殻を破るには至っていない「既存型男性ヴィラン」でもない。どちらも凌駕したのが真賀田博士です。革命と言っても過言ではありません。

そして、真賀田博士が「女性」として描かれたことは、創作における極めて大きなブレイクスルーであり、必然でもあったように感じます。

日本において、ラスボスは大体が男性です。主人公を脅かす最大の敵は男性でなければならない、という無意識の偏見ゆえでしょう。

真賀田博士は間違いなく、従来のラスボス枠を打ち破る新しい存在なのです。そして、その新しさは30年経った今も色褪せていません。

まとめ 私たちはまだ、90年代の科学的予測に追いつけていない

引用多めで解説してきましたが、物語の核心に触れている箇所はありません。大筋からみれば枝葉末節と思われる部分の節々に、人生観を変え得る要素が詰まっている。それが『すべてがFになる』です。数学、化学、物理が大嫌い、という人にこそ、読んでみてほしい1冊です。

科学的な思考の美しさを、垣間見ることができるはずです。そしてそれは、感情や慣習、常識でこんがらがり、縛られている人の苦悩を解きほぐす可能性を秘めています。

娯楽としてのエンターテインメントを超えたものを、得ることができます。

登場人物たちの知見に、まだ現代社会が追い付いていない。その現実も目の当たりにするでしょう。環境保護と声高に叫びながら、旅行や移動などのエネルギー浪費には無頓着。彼らの描く未来の足音が確実に近くに聞こえていても、私たちはまだ「人間性確保」の本能的欲求にしがみついています。

もちろん、ミステリー小説としても大変読み応えのある作品です。与えられた条件から「こう考えるしかない」という論理的帰着。大変美しい帰着です。動機や感情については二の次、といった描写もありますが、本来「事件を解決する」とはそういうことなのです。本当の動機や感情なんて、誰にも分かり得ない。きっと、それが真実。

続編で本作の補足や描写があったりもするので、そこで新たな発見も期待できます。シリーズで読んでも大変面白い作品群です。

かん

ぜひ、ご覧になってみてください。

  1. 「助教授」は2007年の法改正により、「准教授」に名称が変更されています。 ↩︎
  2. 漫画化は2002年、ドラマ化は2014年。ドラマ化は特に、比較的最近の出来事です。 ↩︎
  3. 森博嗣(1999)『冷たい密室と博士たち』講談社 ↩︎
  4. 森博嗣(1998)『すべてがFになる』講談社文庫 81 ↩︎
  5. 森博嗣(1998)『すべてがFになる』講談社文庫 67 ↩︎
  6. 森博嗣(1998)『すべてがFになる』講談社文庫 80 ↩︎
  7. 森博嗣(1998)『すべてがFになる』講談社文庫 80 ↩︎
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